第559回 2023.01.23
助け合い精神が根づく日本人
会長・小原御郎
3分間スピーチ「日本を語ろう」
海外に行って自国のことを大いに語ってください。
まず日本とトルコの絆を描いた映画【海難1890】 トルコ人の感動動画をご覧ください
日本人は助け合い精神が旺盛です。2011年に起きた東日本大震災で、自宅をはじめあらゆるものを流されてしまった時に見せた日本人の行動を思い起こせばお分かりいただけると思います。あの時、誰もが救の手をのべてほしかったはずです。しかし皆、整然と列を作り、わずかな食べ物を分け合いました。また自分より困っている人を優先的にケアするように配慮し、譲り合いました。
そのことで世界中から驚きと称賛の声が寄せられましたが、日本人がそういう行動をとるようになった背景にはいくつかの理由があります。
もともと稲作を中心とした農耕を営んできたため、多くの人の共同作業が欠かせなかったこと。日本列島が自然災害の多発する場所であるため、人と人が協力し合わなければいけなかったこと。さらに長い江戸時代に、道徳教育が一般庶民の間にまで浸透したことも日本人の助け合い精神を育んだと言われています。
この助け合い精神は、自国民にだけ向けられるものではありません。
日本の周辺は海が荒く、多くの暗礁があり、昔から多くの船が遭難しています。オスマン帝国のフリゲート艦・エルトゥールル号もそのひとつです。
1890年、トルコの軍艦エルトゥールル号が日本の和歌山県沖合で台風に遭遇をし、500名以上の犠牲者を出した遭難事件です。
大破した船から命からがら抜け出した乗組員たちが50戸ほどの小さな村に漂着しました。村人たちは懸命に手を尽くして彼らを寺や小学校に収容しました。遭難した人たちは寒さで凍えそうになっていましたが、村人たちは裸になり、自分の体温で温めたと言います。
その村人はとても貧しく、おり悪しく台風がきていたため、魚などの備蓄も底をつくようなありさまでした。しかし村人たちは遭難した人たちに惜しげもなく食料を与えたと言います。
その結果、69名の尊い命が助かりました。そして日本政府は2隻の軍艦で彼らをトルコまで送り届けたのです。
そのエピソードは長くトルコ人の人たちの間で語り継がれ、それがある奇跡を生むことにつながっています。
遭難事件から95年ののち、イラン・イラク戦争の時、イラクのフセイン大統領は国内にいる外国人に対し、48時間以内に国外退去するよう命じました。それ以降イラク上空を飛ぶ飛行機はすべて撃墜すると発表したのです。当時イラクに滞在していた日本人はパニックに陥りましたが、日本政府は何も行動を起こすことができませんでした。
その時2機の航空機がテヘランの空港に降り立ちました。
なんとトルコの航空機でした。トルコの人たちはエルトゥールル号の遭難に際して受けた恩を忘れていなかったのです。
2機が215人の日本人を乗せ、日本へ向けて飛びたった時、タイムリミットの1時間15分前でした。
「情けは人のためならず」この日本の諺を証明してくれた心温まるエピソードです。
ひとくちメモ
1889年、なぜエルトゥールル号が日本に来たか、あまり知られていません。当時トルコはオスマン帝国の時代でした。日本の皇族の訪問のお返しと軍艦の練習航海を兼ねて日本に来ていたのです。オスマン帝国の使節は明治天皇を訪ねています。
その年の9月、帰路に就こうとしたオスマン側に対し、日本側は台風シーズンが終わるまで待ったほうがいいと忠告しましたが、それを振り切り出航したのです。
日本とトルコの友好関係はその後も続いています。トルコ国内では今でもバリチック艦隊を破った東郷平八郎はヒーローとされています。また「世界でいちばん好きな国は?」という世論調査では、毎回日本が1位になっています。
日本とトルコが共同で製作した映画【海難1890】は2015年に公開され、大きな話題を呼びました。
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