第285回 2011.06.20
旧白洲邸 武相荘(ぶあいそう)に行ってきました。
武相荘、白洲次郎より
兵庫生まれ。若くしてイギリスに留学、ケンブリッジに学ぶ。
第二次世界大戦にあたっては、参戦当初より日本の敗戦を見抜き鶴川に移住、農業に従事する。
戦後、吉田茂首相に請われてGHQとの折衝にあたるが、GHQ側の印象は「従順ならざる唯一の日本人」。
高官にケンブリッジ仕込みの英語をほめられると、返す刀で「あなたの英語も、もう少し勉強なされば一流になれますよ」とやりこめた。
その人となりを神戸一中の同級・今日出海は「野人」と評している。
日本国憲法の成立に深くかかわり、政界入りを求める声も強かったが、生涯在野を貫き、いくつもの会社の経営に携わる。
晩年までポルシェを乗り回し、軽井沢ゴルフ倶楽部理事長を務めた。
「自分の信じた『原則(プリンシプル)』には忠実」で「まことにプリンシプル、プリンシプルと毎日うるさいことであった」と正子夫人。
遺言は「葬式無用、戒名不用」。まさに自分の信条(プリンシプル)を貫いた83年だった。
たぶんNHKテレビで白洲次郎さんのことを知ったのがきっかけかと思います。
以前から行ってみたくて、部屋の壁には2年近く「武相荘」の文字が張られていましたが、なかなか行くという行動にまではなりませんでした。
ただ、日本が大変な危機にあるというのに、与野党が政争にふけっている政治を、白洲次郎さんはどう思っているだろうかと考えたら急に行きたくなったからでございます。
白洲邸では約2時間、穏やかな気分で見学をさせていただきました。
白洲次郎さんも私を歓迎してくれたのか、久しぶりにゆったりとした時間の流れを感じながら荘内を観させていただきました。
今現在も穏やかな気分の状態を保っています。
今後気がめいった時はまた伺いたいと思っています。
武相荘1・・・武相荘について
武相荘2・・・おなじみの愛車ですね。
武相荘3・・・長屋門から茅葺の母屋が見えます。
武相荘4・・・白洲次郎さんが使っていた農機具です。
これはほとんど外国製でしょうね。
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