第308回 2011.11.28
今回は新聞記事で感動しました内容を記載させていただきます。
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11月25日、朝日新聞「人・脈・記」より
看板も診察室もない診療所が広島市郊外の高台にある。
在宅診療専門の「コールメディカルクリニック広島」だ。
院長の岡林清司(59)は、大学病院の救命センターに長年勤めていたベテラン救急医。
6年前に大学を辞めてこの診療所を開いた。
次々に運ばれてくる重症患者をてきぱきと治療し命を救ってきた。
だが、没頭するうちに気持ちがもやもやしてきた。
必死で救った命のはずだったが、患者は体に麻痺が残ったまま退院していく。
「自分は本当に患者を救っているといえるのだろうか?」
そんな時、当時大阪大教授だった杉本壽(62)にある会合で同席の時助言を受ける。
「診療所で患者を待つ医者じゃなく、患者が自分の町で生きるのを支える医者になれ。
地域はね、大きな病院なんだよ。」
患者の家が病室、道路は廊下。
医師は「病室」を回診して、急変時には「廊下」を走る。
町が病院に見えてきた。
広島市に住む広滋正嗣(68)は舌ガン手術後、市内の総合病院を退院した。
呼吸ができないため、のどに穴をあけて管を入れていた。
その命綱がしばしば抜ける。
そのたびに車で1時間かけて離れた総合病院に駆けつけた。
08年の元旦、広滋は年越しそばをのどに詰まらせた。
激しくむせ、菅が抜けた。
妻が物音に驚き駆けつけると広滋がトイレの前でもがいていた。
午前3時半。電話を受けた岡林が2分ほどで来た。
気管に詰まったそばと大量のたんを吸い出し、菅をすばやく再挿入。
窒息死から救った。
10ヶ月後、広滋は自力で呼吸ができるようになり、のどの穴を閉じた。
がんも再発していない。
岡林が「卒業だよね」と言うと、広滋はこう答える。
「先生はお守りじゃけん。死ぬまで診てな」
今秋から岡林のもとには、ある講演会で知った救命医、岩野歩(43)が診療所を見学に訪れた。
岡林は住宅地を手で指し示しながら言った。
「これが僕の「病院」なんだよ」。
岡林の言葉は岩野の思いにぴったりはまった。
岩野は来年6月、福岡県宗像市で在宅専門の診療所を開く。
安心して退院できる町を目指して。
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非常に良い話で感動いたしました。
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