週刊日誌(スタッフブログ)
第190回 2009.07.21
こんな業界にも不況の影響があった。
週間日誌183回で紹介しました元同僚のことですが、彼はリサイクル品の販売をしています。
去年からのこの不況に関しても、“私はゴミ屋の商売をしていますから、不況は関係ないです。”と言っていました。
先週のことですが、前回御馳走になっているのでそのお返しをしようと思って、彼と酒を飲むことに致しました。
会話の中で彼が言うことには、“この不況の影響で苦戦しています。”ついこの間までは、不況に関係がない業種といっていた彼の言葉です。
話をしていくうちに納得がいくようになりました。
つまり、リサイクル品という「商品」の発生には、「買い替え需要」が必要だったのです。
買い替え等のとき発生する処分品を、ほとんどタダ同然で仕入れる。
そして、値打ちがあるものであれば、中古でも構わないとするお客様に販売する。
リサイクルショップの運営方式にも、陰りが出てきたのでしょうか?
週間日誌183回で紹介しました元同僚のことですが、彼はリサイクル品の販売をしています。 去年からのこの不況に関しても、“私はゴミ屋の商売をしていますから、不況は関係ないです。”と言っていました。 先週のことですが、前回御馳走になっているのでそのお返しをしようと思って、彼と酒を飲むことに致しました。 会話の中で彼が言うことには、“この不況の影響で苦戦しています。”ついこの間までは、不況に関係がない業種といっていた彼の言葉です。 話をしていくうちに納得がいくようになりました。 つまり、リサイクル品という「商品」の発生には、「買い替え需要」が必要だったのです。 買い替え等のとき発生する処分品を、ほとんどタダ同然で仕入れる。 そして、値打ちがあるものであれば、中古でも構わないとするお客様に販売する。 リサイクルショップの運営方式にも、陰りが出てきたのでしょうか?
第189回 2009.07.13
ある社長の夢
私は今、PHP研究所出版の「私の夢会社の夢」という本を読み返しています。
この本は以前週間日誌114回で紹介しました、坂爪捷兵様からプレゼントされた本です。
すばらしい内容ばかりですが、私が4・5回は読み返したかと思いますが、(株)中島工務店・中島社長の“夢”を紹介致します。
“物心ついたときから広い世界へ出たかった。特に外国に行きたかった。
ひょんな事からブラジルへ行った。30歳の誕生日だった。
知人なし、言葉できず、知識なし、滞在1週間だった。
それでも何とかサンパウロ、リオデジャネイロ、ブラジリアと回り、岐阜県人会の皆さんと知り合った。それ以来、今でも深い付き合いが続いている。
広くて肥沃な大地、温暖な気候、ブラジル人の日本人への信用などを知るにつけ、ここで事業をやりたいと思った。ここでやると心に決めた。
それから33年あまり、彼の国で事業をやるために、経験、人材、資金を蓄えてきた。
研修生も採った。身元保証人にもなった。
63歳になった今、多くに事業をはだてて、それなりに形になってきた。
経験、人材、資金を得たが、日本経済の破綻により、建設業はかつてない変革をし、厳しい時代に入った。
社長が会社を簡単には抜けられなくなった。しかし諦めない。
70歳までには全てをバトンタッチし、一切を投げ捨ててでも、体一つでもブラジルへ行きたい。そして百年前にブラジル移民船笠戸丸で渡った先人達のように、自分の社会を創りたい。あの広くて肥沃で温暖な国で、農業や林業を中心に、未来永劫ゆったりと生きられる社会を創りたい。
車や機会やコンピュータのための社会ではなく、金儲け主義の社会ではなく、動物としての人間が、動物として生きられる息の長い社会を創りたい。
そのためには百歳まで元気で、二度とない私の生涯を精一杯生きたい。”
以上ですが、いかがだったでしょうか。この情熱の物凄さ。百年に一度の大不況と言われている今現在。私はこの“社長の夢”にパワーをもらったような感じが致します。
私は今、PHP研究所出版の「私の夢会社の夢」という本を読み返しています。 この本は以前週間日誌114回で紹介しました、坂爪捷兵様からプレゼントされた本です。 すばらしい内容ばかりですが、私が4・5回は読み返したかと思いますが、(株)中島工務店・中島社長の“夢”を紹介致します。 “物心ついたときから広い世界へ出たかった。特に外国に行きたかった。 ひょんな事からブラジルへ行った。30歳の誕生日だった。 知人なし、言葉できず、知識なし、滞在1週間だった。 それでも何とかサンパウロ、リオデジャネイロ、ブラジリアと回り、岐阜県人会の皆さんと知り合った。それ以来、今でも深い付き合いが続いている。 広くて肥沃な大地、温暖な気候、ブラジル人の日本人への信用などを知るにつけ、ここで事業をやりたいと思った。ここでやると心に決めた。 それから33年あまり、彼の国で事業をやるために、経験、人材、資金を蓄えてきた。 研修生も採った。身元保証人にもなった。 63歳になった今、多くに事業をはだてて、それなりに形になってきた。 経験、人材、資金を得たが、日本経済の破綻により、建設業はかつてない変革をし、厳しい時代に入った。 社長が会社を簡単には抜けられなくなった。しかし諦めない。 70歳までには全てをバトンタッチし、一切を投げ捨ててでも、体一つでもブラジルへ行きたい。そして百年前にブラジル移民船笠戸丸で渡った先人達のように、自分の社会を創りたい。あの広くて肥沃で温暖な国で、農業や林業を中心に、未来永劫ゆったりと生きられる社会を創りたい。 車や機会やコンピュータのための社会ではなく、金儲け主義の社会ではなく、動物としての人間が、動物として生きられる息の長い社会を創りたい。 そのためには百歳まで元気で、二度とない私の生涯を精一杯生きたい。” 以上ですが、いかがだったでしょうか。この情熱の物凄さ。百年に一度の大不況と言われている今現在。私はこの“社長の夢”にパワーをもらったような感じが致します。
第188回 2009.07.06
新幹線に乗って
先日、新幹線を使って倉敷に行ってきました。
私は新横浜から自由席に乗り、感じたことがあります。
まず、先頭から1・2・3号車が自由席でした。
私は5号車から乗って、結局1号車にゆったりと座ることができました。
その過程で、3号車は約80%の込み具合、2号車は60%、1号車はせいぜい40%くらいでした。
様子を見ていると、3号車以降の車両から乗って自由席に向かう人が、結構多くいました。
私が想像するのに、3号車の込み具合から想像して、先の車両も込んでいるのではないかと思い込む。
この空いている席を逃したら、誰かに取られてしまうとの心理が働き、結局座ってしまうのではないでしょうか。
また、移動販売でも面白い発見を致しました。
以前、移動販売で日本一になられた方を紹介した番組(たぶんテレビだと思います)を見たことがあります。
その方の販売アップの秘訣とは、誰よりも多く車内を回るとのことでした。
実際、私たちの車両は1号車のため、ユーターンしてくるのに5・6分しかかかりません。
にもかかわらず前列の何人かは、先ほど見過ごしたのに、今回は購入しておられました。
非常に参考になりました。
先日、新幹線を使って倉敷に行ってきました。 私は新横浜から自由席に乗り、感じたことがあります。 まず、先頭から1・2・3号車が自由席でした。 私は5号車から乗って、結局1号車にゆったりと座ることができました。 その過程で、3号車は約80%の込み具合、2号車は60%、1号車はせいぜい40%くらいでした。 様子を見ていると、3号車以降の車両から乗って自由席に向かう人が、結構多くいました。 私が想像するのに、3号車の込み具合から想像して、先の車両も込んでいるのではないかと思い込む。 この空いている席を逃したら、誰かに取られてしまうとの心理が働き、結局座ってしまうのではないでしょうか。 また、移動販売でも面白い発見を致しました。 以前、移動販売で日本一になられた方を紹介した番組(たぶんテレビだと思います)を見たことがあります。 その方の販売アップの秘訣とは、誰よりも多く車内を回るとのことでした。 実際、私たちの車両は1号車のため、ユーターンしてくるのに5・6分しかかかりません。 にもかかわらず前列の何人かは、先ほど見過ごしたのに、今回は購入しておられました。 非常に参考になりました。
第187回 2009.06.29
カマスと小魚の話。
先日友人とお酒を飲んでいて、いろんな話をしていましたところ友人が、
“カマスと小魚の話を知っていますか?と言い、話を続けます。
カマスと小魚を一緒に水槽に入れると、カマスが小魚を食べてしまいます。
そこで、カマスと小魚をガラス板で仕切ると、カマスは小魚を食べようとしてもガラスにぶつかり食べることが出来ません。
今度はガラス板を取り除いてあげます。そうするとガラスがないにもかかわらずカマスは小魚を食べようとしません。
そこに新しいカマスを入れてやると、その新しいカマスは小魚を食べてしまいます。
その様子を見ていた古いカマスは、本来の本能を取り戻して小魚を食べるようになる。”
そのような話でした。
当社には、一昨年と今年に二匹の「カマス君」たちが入社しました。
そのことが古いカマスたちにとっては、大変良い刺激になっているようです。
先日友人とお酒を飲んでいて、いろんな話をしていましたところ友人が、 “カマスと小魚の話を知っていますか?と言い、話を続けます。 カマスと小魚を一緒に水槽に入れると、カマスが小魚を食べてしまいます。 そこで、カマスと小魚をガラス板で仕切ると、カマスは小魚を食べようとしてもガラスにぶつかり食べることが出来ません。 今度はガラス板を取り除いてあげます。そうするとガラスがないにもかかわらずカマスは小魚を食べようとしません。 そこに新しいカマスを入れてやると、その新しいカマスは小魚を食べてしまいます。 その様子を見ていた古いカマスは、本来の本能を取り戻して小魚を食べるようになる。” そのような話でした。 当社には、一昨年と今年に二匹の「カマス君」たちが入社しました。 そのことが古いカマスたちにとっては、大変良い刺激になっているようです。
第186回 2009.06.22
中学1年時の担任の先生から電話あり
私が学生時代の先生の中で、一番思い出に残っている男性の先生から電話がありました。
その先生には、大変かわいがって戴きました。
ただ、そんな先生の期待を、私は裏切ってしまったことがあります。
去年の同窓会でお会いするまで、そのことが常に心の奥底にあり、自分のふがいなさをずっと引きずっていました。
そのこととは、中学一年時のクラス対抗水泳大会のことです。
水泳大会の前にこのような出来事がありました。
同じクラスの水泳部の友達から“学校対抗の水泳大会があるが、自分は自信がないので代わりに出てもらいたい”と懇願され、とうとう代行で水泳大会に出場することになりました。(結果はビリです。)
そのことがクラス中で話題になり、「クラス対抗水泳大会」では、先生からも大変な期待を抱かせることになりました。
自分の能力も分かっているので、その期待の重さに耐え切れず、大会当日先生に“水着を忘れました”と答えていました。
私より泳ぎが遅いものたちが必死に泳いでいる、その姿がずっと脳裏に焼き付いています。
同窓会の時にそのことを先生に話しましたところ、覚えていないとのことです。
そんなことはたぶんないでしょう、先生の優しさですね。
当社社員に、先生から電話があったことの話をすると、“どんな科目を教わったのですか?”と聞かれましたが、不思議なことに、教わった科目を覚えていないのです。
私は、人としての教育をしていただいたような気がいたします。
また、先生の身長は160cm位でしょう。それに利き手の人差し指と中指の第一関節をなくしておられます。
年齢はたぶん、68歳から70歳だと思います。
いまだにゴルフのハンディーがシングルとのことです。尊敬いたします。
今年中に対戦することになりました。結果は週間日誌にてお知らせいたします。
私が学生時代の先生の中で、一番思い出に残っている男性の先生から電話がありました。 その先生には、大変かわいがって戴きました。 ただ、そんな先生の期待を、私は裏切ってしまったことがあります。 去年の同窓会でお会いするまで、そのことが常に心の奥底にあり、自分のふがいなさをずっと引きずっていました。 そのこととは、中学一年時のクラス対抗水泳大会のことです。 水泳大会の前にこのような出来事がありました。 同じクラスの水泳部の友達から“学校対抗の水泳大会があるが、自分は自信がないので代わりに出てもらいたい”と懇願され、とうとう代行で水泳大会に出場することになりました。(結果はビリです。) そのことがクラス中で話題になり、「クラス対抗水泳大会」では、先生からも大変な期待を抱かせることになりました。 自分の能力も分かっているので、その期待の重さに耐え切れず、大会当日先生に“水着を忘れました”と答えていました。 私より泳ぎが遅いものたちが必死に泳いでいる、その姿がずっと脳裏に焼き付いています。 同窓会の時にそのことを先生に話しましたところ、覚えていないとのことです。 そんなことはたぶんないでしょう、先生の優しさですね。 当社社員に、先生から電話があったことの話をすると、“どんな科目を教わったのですか?”と聞かれましたが、不思議なことに、教わった科目を覚えていないのです。 私は、人としての教育をしていただいたような気がいたします。 また、先生の身長は160cm位でしょう。それに利き手の人差し指と中指の第一関節をなくしておられます。 年齢はたぶん、68歳から70歳だと思います。 いまだにゴルフのハンディーがシングルとのことです。尊敬いたします。 今年中に対戦することになりました。結果は週間日誌にてお知らせいたします。
第185回 2009.06.15
ゴルフで念願の“スコアー100”を切る。
私はゴルフ暦28年です。
とうとう先日99で回ってきました。
100を切るのになんと、28年の歳月がかかりました。
ゴルフをされる人の中には、非常にセンス(もちろん人一倍の努力だと思います)が良い人がおられます。
お客様でH様の場合、ゴルフを始められたのは55歳過ぎだったとお聞き致しました。
(私も何回かコーチをお願いした事があります)
1年間レッスンプロの先生に教わり、そして先生と始めてコースに出たときに先生を負かしてしまったとの事でした。
その先生から“あなたに教える事はもうございません。私に使っておられるレッスンのお金を、今後は練習に使ってください。”と言われたそうでございます。
またその逆で、読売新聞の「ナベツネさん」の場合は、100を切るのに40年掛かっておられます。
今後、ゴルフとのかかわり方としては、あまり頭に来ないようにして、楽しんでいきたいと思っております。
私はゴルフ暦28年です。 とうとう先日99で回ってきました。 100を切るのになんと、28年の歳月がかかりました。 ゴルフをされる人の中には、非常にセンス(もちろん人一倍の努力だと思います)が良い人がおられます。 お客様でH様の場合、ゴルフを始められたのは55歳過ぎだったとお聞き致しました。 (私も何回かコーチをお願いした事があります) 1年間レッスンプロの先生に教わり、そして先生と始めてコースに出たときに先生を負かしてしまったとの事でした。 その先生から“あなたに教える事はもうございません。私に使っておられるレッスンのお金を、今後は練習に使ってください。”と言われたそうでございます。 またその逆で、読売新聞の「ナベツネさん」の場合は、100を切るのに40年掛かっておられます。 今後、ゴルフとのかかわり方としては、あまり頭に来ないようにして、楽しんでいきたいと思っております。
第184回 2009.06.08
体重がやっとベストに近づきました。
実は、昨年の1月から禁煙をしております。
それからは一本も吸はないで頑張っております。気のせいか体調も良いようです。
ところが禁煙のストレスからか、いつの間にか間食をするようになっていたのです。
今まで常に55kg前後だった体重が、ついに60kgになってしまいました。
そこで2ヶ月前に決断をいたしました。
1.間食をやめる。
2.運動量及びメニューを増やす。
間食はすぐにやめられました。
また、週に1・2回のペースで泳いでいた運動に加えたのは、柔軟・ストレッチ・ゴルフなどの運動です。
食事の量はそのままで、やっと56kg~57kgになりました。
もう少しでベスト体重になります。頑張ってみます。
実は、昨年の1月から禁煙をしております。 それからは一本も吸はないで頑張っております。気のせいか体調も良いようです。 ところが禁煙のストレスからか、いつの間にか間食をするようになっていたのです。 今まで常に55kg前後だった体重が、ついに60kgになってしまいました。 そこで2ヶ月前に決断をいたしました。 1.間食をやめる。 2.運動量及びメニューを増やす。 間食はすぐにやめられました。 また、週に1・2回のペースで泳いでいた運動に加えたのは、柔軟・ストレッチ・ゴルフなどの運動です。 食事の量はそのままで、やっと56kg~57kgになりました。 もう少しでベスト体重になります。頑張ってみます。
第183回 2009.06.01
昔の同僚と酒を飲む
私が家具問屋に勤めていた28歳頃、高校を中退した男性が入社してきました。
彼はその時から髪の毛が薄く、飲み屋で年当てゲームをしますと、ある時は40歳といわれたこともありました。
営業に出る時は、後で知ったのですが、30歳で通したとのことでした。
私は彼が入社してから1・2年後に退社しましたから、勤めていた会社のその後を懐かしく語り合いました。(会社は今現在、存在していません。)
その後彼にも事情が発生し、今現在は、破産宣告を受ける身になったとのことでした。
彼は、その当時から非常に根性があり、今現在でもハンディを背負ってはいるものの、立派に生活をしていました。
おまけにこの日の勘定は、いつの間にか彼が払ってくれていました。
破産宣告を受けた人に御馳走してもらうなど、あまり聞く話ではないですよね。
近日中に、私にとっては30年以上ぶりになりますが、元同僚と連絡を取り合い、集まることとして分かれました。
また楽しみがひとつ増えました。
私が家具問屋に勤めていた28歳頃、高校を中退した男性が入社してきました。 彼はその時から髪の毛が薄く、飲み屋で年当てゲームをしますと、ある時は40歳といわれたこともありました。 営業に出る時は、後で知ったのですが、30歳で通したとのことでした。 私は彼が入社してから1・2年後に退社しましたから、勤めていた会社のその後を懐かしく語り合いました。(会社は今現在、存在していません。) その後彼にも事情が発生し、今現在は、破産宣告を受ける身になったとのことでした。 彼は、その当時から非常に根性があり、今現在でもハンディを背負ってはいるものの、立派に生活をしていました。 おまけにこの日の勘定は、いつの間にか彼が払ってくれていました。 破産宣告を受けた人に御馳走してもらうなど、あまり聞く話ではないですよね。 近日中に、私にとっては30年以上ぶりになりますが、元同僚と連絡を取り合い、集まることとして分かれました。 また楽しみがひとつ増えました。
第182回 2009.05.25
ぶどうの成長
今回は先日からぶどう係になりました中山が担当いたします。
少し前にぶどうの受粉作業をしました。
ぶどうの受粉作業をするのは初めてだったので
実がつくか不安になりながら毎日受粉作業をしていました。
受粉作業中は脚立に上って耳かき片手に難しい顔をして木をいじっていたので
会社の前を通った方は不審に思われたかと思いますが…
それは、ぶどうに実をつけるための大切な作業だったのです。
作業を続けた数日後に花が咲いていたところに小さな膨らみがつき始めました。
聞いてみると、受粉して実がなり始めたとのことらしいのです。
まばらではありますが木全体に実がついていたのです。
ちゃんと実がつくか心配だった私にはとても嬉しいことでした。
まだまだ小さいですがこれからぶどうが成長していくのが楽しみです。
ご来社された際には家具だけでなくぶどうの成長も見ていただけると嬉しいです。
ぶどう係 中山
今回は先日からぶどう係になりました中山が担当いたします。 少し前にぶどうの受粉作業をしました。 ぶどうの受粉作業をするのは初めてだったので 実がつくか不安になりながら毎日受粉作業をしていました。 受粉作業中は脚立に上って耳かき片手に難しい顔をして木をいじっていたので 会社の前を通った方は不審に思われたかと思いますが… それは、ぶどうに実をつけるための大切な作業だったのです。 作業を続けた数日後に花が咲いていたところに小さな膨らみがつき始めました。 聞いてみると、受粉して実がなり始めたとのことらしいのです。 まばらではありますが木全体に実がついていたのです。 ちゃんと実がつくか心配だった私にはとても嬉しいことでした。 まだまだ小さいですがこれからぶどうが成長していくのが楽しみです。 ご来社された際には家具だけでなくぶどうの成長も見ていただけると嬉しいです。 ぶどう係 中山
第181回 2009.05.18
電話営業
週間日誌の179回で申しあげましたが、私は営業活動を復活致しました。
29歳で独立し、(勤めていた会社を辞めてしまった、その流れで)これまでいろんな営業活動を行ってまいりました。
独立し立ては、何せ会社(6畳一間のみのプレハブ建て)には私一人しかいませんから、営業活動は電話を利用する事か、郵便を利用していました。
その後は社員さんが入ってこられましたので、近所の挨拶回り、家具に関連した企業への挨拶回り等、いろんな方法で活動をしてまいりました。
その中で、電話での営業活動の効力は非常に大きいものでした。
顔がお互い見えない中での、会話だけで信用を頂く営業方法。
慣れるまでは大変ですよね、訪問のときは顔の表情、しぐさなどで「間」を繕っているかと思いますが、電話ではそうはいきません。
ところが慣れてまいりますと、思ってもいないほどお客様の内面に入らせて頂けます。
先日、早朝の4時前後ラジオを聞いていましたら、故人で目が見えない方の言葉を紹介していました。
“目が見えないおかげで見えないものが見えて良かった”のような言葉だったかと思います。
私もこれまで、声だけで自分を分かっていただき、また信用していただく。
そのような訓練をこれまでしてまいりました。
お蔭様で、電話での営業を受けますと、全ての雑音及び先入観が消えて、その方の内面に入っていけるような感じが致します。
以前、経営コンサルタント関係の女性の方から、電話での営業がありました。
私は確か、“経営で1度失敗もしたし、そのとき悟ったことを確かめたいので・・・。”そんな会話でお断り致しました。
そう言いましたら、その女性営業の方は“ユウキさんはきっと成功されます、期待しています・・・。”
のような会話をして電話は終わりました。
私は、そのときの女性営業マンの方から、もう一度電話がくる事をずっと待っていましたが、再度くる事はありませんでした。
印象に残ったすばらしい営業でした。(有難うございました、非常に勉強になりました。)
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週間日誌の179回で申しあげましたが、私は営業活動を復活致しました。 29歳で独立し、(勤めていた会社を辞めてしまった、その流れで)これまでいろんな営業活動を行ってまいりました。 独立し立ては、何せ会社(6畳一間のみのプレハブ建て)には私一人しかいませんから、営業活動は電話を利用する事か、郵便を利用していました。 その後は社員さんが入ってこられましたので、近所の挨拶回り、家具に関連した企業への挨拶回り等、いろんな方法で活動をしてまいりました。 その中で、電話での営業活動の効力は非常に大きいものでした。 顔がお互い見えない中での、会話だけで信用を頂く営業方法。 慣れるまでは大変ですよね、訪問のときは顔の表情、しぐさなどで「間」を繕っているかと思いますが、電話ではそうはいきません。 ところが慣れてまいりますと、思ってもいないほどお客様の内面に入らせて頂けます。 先日、早朝の4時前後ラジオを聞いていましたら、故人で目が見えない方の言葉を紹介していました。 “目が見えないおかげで見えないものが見えて良かった”のような言葉だったかと思います。 私もこれまで、声だけで自分を分かっていただき、また信用していただく。 そのような訓練をこれまでしてまいりました。 お蔭様で、電話での営業を受けますと、全ての雑音及び先入観が消えて、その方の内面に入っていけるような感じが致します。 以前、経営コンサルタント関係の女性の方から、電話での営業がありました。 私は確か、“経営で1度失敗もしたし、そのとき悟ったことを確かめたいので・・・。”そんな会話でお断り致しました。 そう言いましたら、その女性営業の方は“ユウキさんはきっと成功されます、期待しています・・・。” のような会話をして電話は終わりました。 私は、そのときの女性営業マンの方から、もう一度電話がくる事をずっと待っていましたが、再度くる事はありませんでした。 印象に残ったすばらしい営業でした。(有難うございました、非常に勉強になりました。)
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