週刊日誌(スタッフブログ)
第10回 2005.12.01
縁 その二
昨日、新聞の投稿欄に、縁についてのものがありました。
私は、商売をしておりまして縁を感じた場合は、いつも以上に燃えるタイプかと思います。
非常に縁を感じたことをお話したいと思います。
私が独立したての頃、旭川で家具の問屋業を営んでおられた“H”さん(実際にエッチな方ですが今回は頭文字からとらせていただきました)を知人から紹介されました。
私は当時6帖間のプレハブに机2台電話機1台のみの事務所で、やっと従業員が一人入った状態の頃でした。
取引が始まって間もない頃、“小原さん、ショールームを持ちなさい、お金は1,000万円提供する”と言って下さり、また、他にも応援してくださる方がおられ2年後にショールームを持つことが出来ました。
あとでお互いびっくりしたのですが、私がまだ会社員で28歳頃のとき知人を介し、
“東京に進出するので責任者になってもらいたい”との話しが当時ありました。
私はその社長とは面識もなく、またそれだけの能力もないのでお断りしたことがあったのですが、実は、“H”さんがそのときの社長でした。その後会社で催しごと(社員旅行、忘年会など)があるときは決まって偶然ですがほとんど全て参加しておられる。
あるとき社員旅行を翌日に控えていると何か電話がきそうな感じがし、社員とうわさをしていたら“いま東京に着いたからすぐ伺うので・・・”
不思議ですね・・・
昨日、新聞の投稿欄に、縁についてのものがありました。 私は、商売をしておりまして縁を感じた場合は、いつも以上に燃えるタイプかと思います。 非常に縁を感じたことをお話したいと思います。 私が独立したての頃、旭川で家具の問屋業を営んでおられた“H”さん(実際にエッチな方ですが今回は頭文字からとらせていただきました)を知人から紹介されました。 私は当時6帖間のプレハブに机2台電話機1台のみの事務所で、やっと従業員が一人入った状態の頃でした。 取引が始まって間もない頃、“小原さん、ショールームを持ちなさい、お金は1,000万円提供する”と言って下さり、また、他にも応援してくださる方がおられ2年後にショールームを持つことが出来ました。 あとでお互いびっくりしたのですが、私がまだ会社員で28歳頃のとき知人を介し、 “東京に進出するので責任者になってもらいたい”との話しが当時ありました。 私はその社長とは面識もなく、またそれだけの能力もないのでお断りしたことがあったのですが、実は、“H”さんがそのときの社長でした。その後会社で催しごと(社員旅行、忘年会など)があるときは決まって偶然ですがほとんど全て参加しておられる。 あるとき社員旅行を翌日に控えていると何か電話がきそうな感じがし、社員とうわさをしていたら“いま東京に着いたからすぐ伺うので・・・” 不思議ですね・・・
第9回 2005.11.28
技
京都の職人
「以前いい仕事をさせるには京都の職人を使え」と聞いたことがあります。
以前はなんとなく見学していて気づかなかったのですが、最近京都のお寺、店舗をじっくり観察していると、いたるところに先人たちの技術を競った後が見えるようになってきました。
(どうだ、俺の技が見抜けるか、見抜けるんだったら見抜いてみろ!と言っている様である)
1つ1つの技を研究し解明して回ると先人たちの技術の高さ、情熱が伝わってきて学ぶことが多い。
今の時代、職人さんの気質が違ってきているとは思わないのですが、そこまでの技術に出会うことが少ないのは、価格の問題なのか、時間的ゆとりの問題なのか、あるいは技術を分かってもらえる人が少ないのでやらないだけなのか、あるいはただ単に私が出会っていないだけなのか・・・
ぜひ、日本人職人の技術を継承し、若い職人さんたちが育つ環境を、私たちが作っていかねばならないのではと思っています。
来春、また先人たちの技術に触れるため京都へ行ってまいります。
京都の職人 「以前いい仕事をさせるには京都の職人を使え」と聞いたことがあります。 以前はなんとなく見学していて気づかなかったのですが、最近京都のお寺、店舗をじっくり観察していると、いたるところに先人たちの技術を競った後が見えるようになってきました。 (どうだ、俺の技が見抜けるか、見抜けるんだったら見抜いてみろ!と言っている様である) 1つ1つの技を研究し解明して回ると先人たちの技術の高さ、情熱が伝わってきて学ぶことが多い。 今の時代、職人さんの気質が違ってきているとは思わないのですが、そこまでの技術に出会うことが少ないのは、価格の問題なのか、時間的ゆとりの問題なのか、あるいは技術を分かってもらえる人が少ないのでやらないだけなのか、あるいはただ単に私が出会っていないだけなのか・・・ ぜひ、日本人職人の技術を継承し、若い職人さんたちが育つ環境を、私たちが作っていかねばならないのではと思っています。 来春、また先人たちの技術に触れるため京都へ行ってまいります。
第8回 2005.11.21
腕
刃物について
まず、週間日誌4回目で紹介いたしましたI様、ご注文頂き有難う御座いました、もうすぐ出来上がりますので楽しみにしていてくださいね。
さて、今回は家具を作る際の刃物、ノミ、カンナ等についてお話したいと思います。
私は本格的に家具作りを教わったわけでは御座いませんが、約5年位前、木型職人さんから1年間指導していただきました。(以前は、自動車のボディーの型を木で作っていたんですね)
まず職人さんが一緒に刃物、砥石を選びに行ってくださり、帰ってから職人さんがカンナを砥いでくれ、その刃先を指先で確認したときの感触、今までに体験した事がない感触、私は小さい頃から常にナイフなど砥いだりしていましたがまるで違いました。
5年かかりやっとそのときの感触に近づいてきた感じがいたします。
以前、職人さんから刃物を見れば腕が分かる、砥石を見れば腕が分かるなど聞いたことがありました。
最近、砥石の手入れをすると刃物を砥ぎたくなる、刃物が完璧に近く砥げると使いたくなる、つまりこういう事で腕が上達するのではないかと自分なりに思っております。
名刀は“血”を呼ぶといいますが、やっぱり切れ味を確かめたくなりますよね。
刃物について まず、週間日誌4回目で紹介いたしましたI様、ご注文頂き有難う御座いました、もうすぐ出来上がりますので楽しみにしていてくださいね。 さて、今回は家具を作る際の刃物、ノミ、カンナ等についてお話したいと思います。 私は本格的に家具作りを教わったわけでは御座いませんが、約5年位前、木型職人さんから1年間指導していただきました。(以前は、自動車のボディーの型を木で作っていたんですね) まず職人さんが一緒に刃物、砥石を選びに行ってくださり、帰ってから職人さんがカンナを砥いでくれ、その刃先を指先で確認したときの感触、今までに体験した事がない感触、私は小さい頃から常にナイフなど砥いだりしていましたがまるで違いました。 5年かかりやっとそのときの感触に近づいてきた感じがいたします。 以前、職人さんから刃物を見れば腕が分かる、砥石を見れば腕が分かるなど聞いたことがありました。 最近、砥石の手入れをすると刃物を砥ぎたくなる、刃物が完璧に近く砥げると使いたくなる、つまりこういう事で腕が上達するのではないかと自分なりに思っております。 名刀は“血”を呼ぶといいますが、やっぱり切れ味を確かめたくなりますよね。
第7回 2005.11.14
営業マン時代の思い出
私が営業マン時代の思い出のお客様をもう一方ご紹介いたします、結果的に営業マンとして大事なことを教わることになりました。
その方は横須賀で大きな家具店を営んでおられて、年齢は50歳くらいの男性社長さんでした。
私が飛び込み営業で伺ったところお客様と商談中でしたので、私は勝手に2階売り場に上がり、店内を見て回り一階に下りていったところその社長さんに
“お前はどこの営業マンだ、出て行け”
と怒鳴られ、私は店を後にしました。
その日は仕事をする気分にもなれず、礼儀を欠いたことは分かるがあの怒鳴られ方、どこがそれほど悪かったのかその日私は早めに退社し、営業に関した本を2冊買い、必死になり読みました。
私の心の中は“砂漠の砂”の状態だったのでしょう、たった1行を見逃しませんでした。
早速翌日朝1番でその店に伺い明るく大きな声で
“おはよう御座います”と挨拶すると社長夫婦はびっくりした顔で、
“何をしにきたんだ”
私は“こちらの店の売り上げを上げるためにきましたので2,3分だけ時間をください”と答えると、
“こちらに来なさい”とカウンターに呼んでくださいました。
私は、自分に任されたら売り場面積あたり売り上げを2倍にするよう申し上げたところ社長さんは、
“それでは売れなかったときは支払わなくていいってことだね”
私“・・・・そういうことです”と答えていた。
売り場を任され商品は展示したのですが、一向に売れなく正直焦りました。
かろうじて締め日前日最初の売り上げが発生しました。
その後は従業員の皆様から協力していただいた事もあり結果、約束をはるかに上回ることになりました。
それから約半年後担当を交代することになり、挨拶に伺ったところ社長、
“俺はお前の会社から物を買っていたんではない、お前から買っていたんだから、担当が替わるんだったら買わない”
結局その言葉通りになってしまい、会社を思えば残念だったのですが、そのときばかりは“営業マンになってよかった”
あれから約30年、ご健在でしたらぜひ会いたいですね・・・・。
私が営業マン時代の思い出のお客様をもう一方ご紹介いたします、結果的に営業マンとして大事なことを教わることになりました。 その方は横須賀で大きな家具店を営んでおられて、年齢は50歳くらいの男性社長さんでした。 私が飛び込み営業で伺ったところお客様と商談中でしたので、私は勝手に2階売り場に上がり、店内を見て回り一階に下りていったところその社長さんに “お前はどこの営業マンだ、出て行け” と怒鳴られ、私は店を後にしました。 その日は仕事をする気分にもなれず、礼儀を欠いたことは分かるがあの怒鳴られ方、どこがそれほど悪かったのかその日私は早めに退社し、営業に関した本を2冊買い、必死になり読みました。 私の心の中は“砂漠の砂”の状態だったのでしょう、たった1行を見逃しませんでした。 早速翌日朝1番でその店に伺い明るく大きな声で “おはよう御座います”と挨拶すると社長夫婦はびっくりした顔で、 “何をしにきたんだ” 私は“こちらの店の売り上げを上げるためにきましたので2,3分だけ時間をください”と答えると、 “こちらに来なさい”とカウンターに呼んでくださいました。 私は、自分に任されたら売り場面積あたり売り上げを2倍にするよう申し上げたところ社長さんは、 “それでは売れなかったときは支払わなくていいってことだね” 私“・・・・そういうことです”と答えていた。 売り場を任され商品は展示したのですが、一向に売れなく正直焦りました。 かろうじて締め日前日最初の売り上げが発生しました。 その後は従業員の皆様から協力していただいた事もあり結果、約束をはるかに上回ることになりました。 それから約半年後担当を交代することになり、挨拶に伺ったところ社長、 “俺はお前の会社から物を買っていたんではない、お前から買っていたんだから、担当が替わるんだったら買わない” 結局その言葉通りになってしまい、会社を思えば残念だったのですが、そのときばかりは“営業マンになってよかった” あれから約30年、ご健在でしたらぜひ会いたいですね・・・・。
第6回 2005.11.07
おいしいお米
先日新潟の農家に1年分の魚沼産玄米を買いに行ってきました。
この農家とは変なご縁でした。
私は新潟の苗場で畑を作っております。約5年前、苗場プリンスホテル前でタクシーに車を当てられ、見積もりを取ったところ10万円くらいかかるとの事、たいした傷でもないのに高すぎるので修理はしないことにしました。
ドライバーの人に話を聞きますと農家をやっているとの事、私は“米1俵でも送ってもらえばそれで結構です”と伝えるとすぐにお米が届きました。
そのお米が非常においしかったのです、それから毎年玄米の状態でお米を頂いております。
お米を頂に行きますと畑で取れた野菜をいっぱい下さるのですが、私が作る野菜と比べ物にならないおいしさ、さすがプロですね。
駒形様、変なご縁でしたが今年もおいしいお米有難う御座いました。
先日新潟の農家に1年分の魚沼産玄米を買いに行ってきました。 この農家とは変なご縁でした。 私は新潟の苗場で畑を作っております。約5年前、苗場プリンスホテル前でタクシーに車を当てられ、見積もりを取ったところ10万円くらいかかるとの事、たいした傷でもないのに高すぎるので修理はしないことにしました。 ドライバーの人に話を聞きますと農家をやっているとの事、私は“米1俵でも送ってもらえばそれで結構です”と伝えるとすぐにお米が届きました。 そのお米が非常においしかったのです、それから毎年玄米の状態でお米を頂いております。 お米を頂に行きますと畑で取れた野菜をいっぱい下さるのですが、私が作る野菜と比べ物にならないおいしさ、さすがプロですね。 駒形様、変なご縁でしたが今年もおいしいお米有難う御座いました。
第5回 2005.10.31
表現方法
最近、私の文章能力不足をつくづく感じており、私の週間日誌を読んでいただいたかたのアドバイスなど頂けたら有難いのですが。
それまでいい関係にあった方にメールを送ったとたん音信不通になったり、最近は文章を書いて、”いざ送ろう“としてもなかなか、送信を押せない状態です。
お会いして話をしたりする時は、たとえ言い方がまずかったとしても相手は私の顔の表情を見て、悪気がないことが解ってもらえたりしているのでしょう。
また、電話の時も声のトーンである程度カバーできているのかなと思います。
メールの場合、そこにあるのは文章のみですから、表現方法で気配りが足らなかったり、言葉遣いで配慮が足りなかったり、受け取られる方によっても解釈の違いなどがあるのかなと思っています。
ただ仕事上、メールでのやり取りは避けられない時代なってきていると思いますので、早く文章に慣れるよう努力いたします。
これまで私のメールでいやな思いをされた方すみません、国語の成績が“1”だった
人間ですが、せめて”3“位のレベルになるように頑張ります・・・・。
最近、私の文章能力不足をつくづく感じており、私の週間日誌を読んでいただいたかたのアドバイスなど頂けたら有難いのですが。 それまでいい関係にあった方にメールを送ったとたん音信不通になったり、最近は文章を書いて、”いざ送ろう“としてもなかなか、送信を押せない状態です。 お会いして話をしたりする時は、たとえ言い方がまずかったとしても相手は私の顔の表情を見て、悪気がないことが解ってもらえたりしているのでしょう。 また、電話の時も声のトーンである程度カバーできているのかなと思います。 メールの場合、そこにあるのは文章のみですから、表現方法で気配りが足らなかったり、言葉遣いで配慮が足りなかったり、受け取られる方によっても解釈の違いなどがあるのかなと思っています。 ただ仕事上、メールでのやり取りは避けられない時代なってきていると思いますので、早く文章に慣れるよう努力いたします。 これまで私のメールでいやな思いをされた方すみません、国語の成績が“1”だった 人間ですが、せめて”3“位のレベルになるように頑張ります・・・・。
第4回 2005.10.24
正三角形
先日新しくなった当社のホームページを見られたお客様が見えられました。
嬉しいですね、またこのお客様、“こちらの会社で作ってもらいたいので他社はあたってない”とのこと。
ただ、ご要望をお聞きし尚、ご要望以上のプランをしてあげたくなり結果、予算を30%くらいオーバーしそうです。
私は長いお付き合いをさせていただきたいので、お客様、当社、作り手が「正三角形」の関係でありたいと思っております。
お客様に無理がいけば信用が落ち、会社が健全でなければ、信頼してこられたお客様を裏切ることになりかねなくまた、作り手は、“作ってやっている”との思い上がった気持ちだと作品に表れる。
このお客様の場合、予算オーバーの分を
1. プランの変更
2. 材料の変更
3. 当社、作り手の利益削減
があると思いますが、1.は当社を信頼してこられたから出来ない、2.は金額に占める材料費はせいぜい30%くらいですから根本的解決にならない、当然3.を根本的解決方法といたします。
気合がより入り喜んでもらおうと思う気持ちでさせていただく仕事は、私共も、作り手も無理があるとは思わないものです。ですから「三角形」の関係になります。
総販売額の10%、せいぜい15%くらいまででしたら、われわれは努力できると思います。
お客様、楽しみにしていてくださいね。
先日新しくなった当社のホームページを見られたお客様が見えられました。 嬉しいですね、またこのお客様、“こちらの会社で作ってもらいたいので他社はあたってない”とのこと。 ただ、ご要望をお聞きし尚、ご要望以上のプランをしてあげたくなり結果、予算を30%くらいオーバーしそうです。 私は長いお付き合いをさせていただきたいので、お客様、当社、作り手が「正三角形」の関係でありたいと思っております。 お客様に無理がいけば信用が落ち、会社が健全でなければ、信頼してこられたお客様を裏切ることになりかねなくまた、作り手は、“作ってやっている”との思い上がった気持ちだと作品に表れる。 このお客様の場合、予算オーバーの分を 1. プランの変更 2. 材料の変更 3. 当社、作り手の利益削減 があると思いますが、1.は当社を信頼してこられたから出来ない、2.は金額に占める材料費はせいぜい30%くらいですから根本的解決にならない、当然3.を根本的解決方法といたします。 気合がより入り喜んでもらおうと思う気持ちでさせていただく仕事は、私共も、作り手も無理があるとは思わないものです。ですから「三角形」の関係になります。 総販売額の10%、せいぜい15%くらいまででしたら、われわれは努力できると思います。 お客様、楽しみにしていてくださいね。
第3回 2005.10.19
天敵
皆様、生物には天敵、カエルに蛇、青虫に鳥などいるかと思いますが、人間にもいるように思います。
私が営業マン時代の話です。
私は営業マンになったときにある誓いがありました”全ての人を好きになろう、全ての人から信頼されよう“と心がけており、店ごとに1週間に一度、2週間に一度等どんなことがあろうとも伺う決心をしていました。
営業始めて1年目くらいのころと思います。
どうしても1件の家具屋さんだけは、行けば険悪な雰囲気になりそれでも通い続けまた。その家具屋さんは横浜の港南区にありまして、私が27歳、相手の店長さんはたぶん40歳くらいだったと思います。
問題の日にその店長さんが私の会社を批判されました「そのときの内容は覚えていませんが」、“うちの会社は全国展開を見据えていて、おっしゃられるような中途半端な会社ではありません”みたいなことを言ったかと思います。
店長、“お前の会社が全国展開など出来るもんか、やるんだったらうちの店以外でやってくれ”、私も若かったんですね、“全て商品を引き下げる”と言ってしまっていました。
会社に損害を与えたわけですが、1週間くらいたったころ、一人で会社帰りに焼鳥屋で酒を飲んでいましたら、社長が偶然入ってきました。そのとき初めていきさつを説明したところ、どういうわけか社長喜んで”俺は一生お前の面倒を見るぞ“と言っておられました。
私が営業マンの期間約3年、約500件のお客様の中で一人だけどうにもならない方でした。
今思っても、やっぱり“天敵”だったかなー・・・・・
皆様、生物には天敵、カエルに蛇、青虫に鳥などいるかと思いますが、人間にもいるように思います。 私が営業マン時代の話です。 私は営業マンになったときにある誓いがありました”全ての人を好きになろう、全ての人から信頼されよう“と心がけており、店ごとに1週間に一度、2週間に一度等どんなことがあろうとも伺う決心をしていました。 営業始めて1年目くらいのころと思います。 どうしても1件の家具屋さんだけは、行けば険悪な雰囲気になりそれでも通い続けまた。その家具屋さんは横浜の港南区にありまして、私が27歳、相手の店長さんはたぶん40歳くらいだったと思います。 問題の日にその店長さんが私の会社を批判されました「そのときの内容は覚えていませんが」、“うちの会社は全国展開を見据えていて、おっしゃられるような中途半端な会社ではありません”みたいなことを言ったかと思います。 店長、“お前の会社が全国展開など出来るもんか、やるんだったらうちの店以外でやってくれ”、私も若かったんですね、“全て商品を引き下げる”と言ってしまっていました。 会社に損害を与えたわけですが、1週間くらいたったころ、一人で会社帰りに焼鳥屋で酒を飲んでいましたら、社長が偶然入ってきました。そのとき初めていきさつを説明したところ、どういうわけか社長喜んで”俺は一生お前の面倒を見るぞ“と言っておられました。 私が営業マンの期間約3年、約500件のお客様の中で一人だけどうにもならない方でした。 今思っても、やっぱり“天敵”だったかなー・・・・・
第2回 2005.10.12
縁
2回目になりましたね。
今回は、私がこの家具業界に入ったいきさつをお話したいと思います。
私は、学校卒業してまず、化粧品メーカーの経理部門に入りました。経営が下降気味の会社でして、4年間お世話になりました。その間、企業体質の改善や経費削減に取り組みましたが、経理の力での限界を感じ、また、営業をやってみたい気持ちもあり“私に営業部門を作らせてください”と社長に申し上げたところ“うちには必要ない”との答えでした。
その頃知人からの誘いがあり、3ヵ月後に会社を作るので来てもらいたいとのこと、私は申し出を受けることにしました。会社が立ち上がるまでの期間は失業保険をもらうことにし、しかしもらうには就職活動をしているふりをしなければなりません。そこで、私は適当な会社を見つけ面接を受け、不合格になるようにしようと考えた。適当な会社が見つかり面接を受けることになりました。
まず面接を受けるにあたり、断られるためですからたぶん服装は、サンダル履きか、赤シャツで行ったと思います。
会社を訪ねると30歳代前半の男性が私を迎えてくれましたが、私の姿を見るなりその男性は“あなたはうちの会社では通用しません”とのこと、断られに行ったはずなのに“なんで私が通用しないか教えてください”と言っていた。
応接間に通され話しすること約3時間、その男性は私に“明日また来てください”と言われ、翌日再度伺った。
2時間くらい話するころになり私の心の中は、“この男性はたぶん年恰好からして人事の課長さんくらいの立場だろうに、この能力の高さからして本当に私はこの会社に通用しないのでは・・”と内心思っているときに女性の人がお茶を持ってこられました、ちょうどその男性も席をはずされておられたので”今の男性はどのような立場の人ですか“と尋ねましたところ、
“うちの会社の社長です”とのこと、わたくしは、ホッとし、その男性が着席されるなり“私を使ってください”と答えていた。
質問したことはひとつ、年功序列か能力主義かだけでした、もちろん能力主義とのこと、私は“3ヶ月ごとに担当エリヤを変えてください、給料はお任せいたします”と伝えお世話になることになりました。
この“適当な会社”のおかげで家具業界との偶然の縁になりました、今では“天職”と思っております。
2回目になりましたね。 今回は、私がこの家具業界に入ったいきさつをお話したいと思います。 私は、学校卒業してまず、化粧品メーカーの経理部門に入りました。経営が下降気味の会社でして、4年間お世話になりました。その間、企業体質の改善や経費削減に取り組みましたが、経理の力での限界を感じ、また、営業をやってみたい気持ちもあり“私に営業部門を作らせてください”と社長に申し上げたところ“うちには必要ない”との答えでした。 その頃知人からの誘いがあり、3ヵ月後に会社を作るので来てもらいたいとのこと、私は申し出を受けることにしました。会社が立ち上がるまでの期間は失業保険をもらうことにし、しかしもらうには就職活動をしているふりをしなければなりません。そこで、私は適当な会社を見つけ面接を受け、不合格になるようにしようと考えた。適当な会社が見つかり面接を受けることになりました。 まず面接を受けるにあたり、断られるためですからたぶん服装は、サンダル履きか、赤シャツで行ったと思います。 会社を訪ねると30歳代前半の男性が私を迎えてくれましたが、私の姿を見るなりその男性は“あなたはうちの会社では通用しません”とのこと、断られに行ったはずなのに“なんで私が通用しないか教えてください”と言っていた。 応接間に通され話しすること約3時間、その男性は私に“明日また来てください”と言われ、翌日再度伺った。 2時間くらい話するころになり私の心の中は、“この男性はたぶん年恰好からして人事の課長さんくらいの立場だろうに、この能力の高さからして本当に私はこの会社に通用しないのでは・・”と内心思っているときに女性の人がお茶を持ってこられました、ちょうどその男性も席をはずされておられたので”今の男性はどのような立場の人ですか“と尋ねましたところ、 “うちの会社の社長です”とのこと、わたくしは、ホッとし、その男性が着席されるなり“私を使ってください”と答えていた。 質問したことはひとつ、年功序列か能力主義かだけでした、もちろん能力主義とのこと、私は“3ヶ月ごとに担当エリヤを変えてください、給料はお任せいたします”と伝えお世話になることになりました。 この“適当な会社”のおかげで家具業界との偶然の縁になりました、今では“天職”と思っております。
第1回 2005.10.01
はじめまして
はじめに
いらっしゃいませ。ようこそ当社ホームページへお越しいただき、ありがとう御座います。ごゆっくりご覧いただき、ご批評いただければ幸いです。
このたび、当社ホームページをリフォームさせていただきました。まず、私の週刊日誌を載せることになり、一大決心をし、挑戦させていただくことにしました。
実は私、この世の中で苦手なものが4つあります。それは、ミミズ、こんにゃく、人前でしゃべる、文章を書く、です。私の学生時代の国語の成績は常に、1か2でした。その人物が一生懸命この週刊日誌に挑戦いたしますので、よろしくお願い致します。
テレビ等で紹介されました、静岡・富士宮での“地獄の特訓”ご存じですか?私は昨年、一昨年と約2週間の合宿訓練を受け、苦手なもののひとつ“人前でしゃべる”は現在逃げないで挑戦中です。
今後の週刊日誌の中で、“人生、生きていくことが楽になった”この訓練の一部をご紹介したいと思っております。
私の顔がイラストになっておりますが、これは写真だと素直に写ったことがないので、イラストにさせていただきました(これも実際とは少し違っていると思っている)。
どうぞ今後ともよろしくお付き合いお願い申し上げます。
トータルリビングユウキ 代表取締役 小原三雄(旧 三夫)
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